
相続セミナー第36回 :限定承認とは? ~プラスの財産の範囲で借金を返済する方法~
みなさん、こんにちは。「相続・遺言・家族信託お役立ちブログ」へお越しいただき、ありがとうございます。このブログでは、相続、遺言、そして民事信託(家族信託)に関する情報を、専門家である行政書士の視点から、分かりやすく、そして実践的な情報をお届けしています。
前回の第35回相続セミナーでは、「相続放棄の手続きと注意点」と題し、被相続人の借金などマイナスの財産が多い場合に、全ての財産・債務の相続を放棄する制度について詳しく解説いたしました。厳格な期限や注意点を守ることの重要性をご理解いただけたかと存じます。
さて、相続が発生した際、相続人が取り得る選択肢は、「単純承認(全ての財産・債務を相続する)」と「相続放棄」だけではありません。実はもう一つ、「限定承認(げんていしょうにん)」という方法が存在します。これは、相続放棄ほど知られていないかもしれませんが、特定の状況下においては非常に有効な手段となり得る制度です。
今回の第36回では、この「限定承認とは? ~プラスの財産の範囲で借金を返済する方法~」というテーマで、限定承認がどのような制度なのか、その基本的な仕組み、メリットとデメリット、そして手続きの概要や注意点について、詳しくご説明してまいります。
この記事を最後までお読みいただければ、限定承認という選択肢について正しい知識を身につけ、ご自身の状況に照らして検討する際の判断材料としてお役立ていただけるはずです。
限定承認とは何か?基本的な仕組みを理解する
まず、「限定承認」とはどのような相続方法なのか、その基本的な仕組みから見ていきましょう。
限定承認とは、相続人が、被相続人(亡くなった方)から相続するプラスの財産(不動産、預貯金など)の価額を限度として、マイナスの財産(借金、ローンなど)を引き継ぎ、もしプラスの財産で全ての債務を返済しきれない場合には、それ以上の責任を負わない、という条件付きで相続を承認する方法です。
少し分かりにくいかもしれませんので、他の相続方法と比較してみましょう。
- 単純承認との違い: 単純承認は、プラスの財産もマイナスの財産も全て無制限に引き継ぎます(無限責任)。つまり、借金が多ければ、相続人自身の固有財産からも返済しなければなりません。一方、限定承認は、相続したプラスの財産の範囲内でのみ責任を負うため「有限責任」であると言えます。
- 相続放棄との違い: 相続放棄は、プラスの財産もマイナスの財産も一切相続しません。初めから相続人でなかったことになります。一方、限定承認は、債務を清算した結果、もしプラスの財産が残れば、その残った財産を取得することができます。
つまり、限定承認は、**「借金は相続したくないけれど、もしプラスの財産が残るならそれは受け取りたい」**という場合に適した、いわば「中間的」な相続方法と言うことができます。例えば、「先祖代々の土地や家宝など、どうしても手放したくない特定の財産があるが、被相続人の借金の全容が不明で、単純承認するにはリスクが高すぎる」といったケースで活用が検討されます。
限定承認を選択する「メリット」と知っておくべき「デメリット」
限定承認は、特定の状況下では大きなメリットがありますが、一方で手続きの煩雑さなどのデメリットも存在します。両者を比較検討することが非常に重要です。
限定承認の主なメリット
- 債務超過のリスクを回避できる(有限責任): 最大のメリットは、相続したプラスの財産の価額を超える借金を負担する必要がない点です。万が一、調査漏れの多額の借金が後から判明したとしても、相続財産で返済しきれない分については責任を負わずに済みます。
- 特定の財産を残せる可能性がある: 相続財産で全ての債務を清算した後、もしプラスの財産が残っていれば、その残余財産を相続人が取得することができます。これは、相続放棄では得られない大きなメリットです。自宅や事業用資産など、どうしても手放したくない財産がある場合に有効です。
- 「先買権(さきがいけん)」の行使により特定の財産を確保できる場合がある: 限定承認の手続きの中で、相続財産を換価(売却して金銭に換える)する必要が生じた場合でも、相続人は家庭裁判所が選任した鑑定人の評価額に基づいて、その財産を優先的に買い取ることができる権利(先買権)が認められることがあります。これにより、競売などで第三者の手に渡るのを防げる可能性があります。
限定承認の主なデメリット・注意点
- 手続きが非常に複雑で煩雑、かつ時間がかかる: 限定承認の手続きは、相続放棄に比べて格段に複雑です。後述しますが、家庭裁判所への申述後、官報への公告、債権者への催告、財産の換価、債権者への配当(弁済)といった一連の清算手続きが必要となり、完了までに通常1年以上の長期間を要します。
- 相続人全員が共同して行わなければならない: 限定承認は、相続人が複数いる場合、相続人全員が共同して家庭裁判所に申述しなければなりません。 一人でも反対する相続人がいたり、単純承認をしてしまったり、あるいは熟慮期間(原則3ヶ月)を経過してしまったりした相続人がいると、他の相続人も限定承認をすることができなくなります。この「全員一致」の要件が、限定承認の利用を難しくしている大きな要因の一つです。
- 専門家(弁護士など)への依頼費用が高額になる傾向がある: 手続きの複雑さと長期化から、専門家(主に弁護士)に依頼する場合の費用が、相続放棄に比べて高額になるのが一般的です。
- 「みなし譲渡所得税」が課税されるリスクがある(重要!): 限定承認を選択した場合、税法上、被相続人から相続人へ、相続開始時の時価で財産が譲渡(売却)されたものとみなされます。そのため、被相続人がその財産を取得した時の価額よりも、相続開始時の時価の方が値上がりしている場合(含み益がある場合)、その差額(譲渡益)に対して所得税(譲渡所得税)が課税されることがあります。この税金は被相続人に課税されるものとして、相続人が被相続人の準確定申告で納税することになります。この「みなし譲渡所得税」が多額になる場合、限定承認のメリットが大きく損なわれるか、むしろマイナスになるケースもあるため、最大の注意点と言えます。
- 利用件数が極めて少ない: 上記のデメリット、特に手続きの煩雑さと「みなし譲渡所得税」のリスクから、実際には限定承認が利用されるケースは、相続放棄に比べて非常に少ないのが現状です。
限定承認の手続きの流れと主な必要書類
限定承認の手続きは、家庭裁判所への申述から始まり、一連の清算手続きを経て完了します。
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家庭裁判所への申述(熟慮期間内に!):
- 申述先: 被相続人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所です。
- 申述人: 相続人全員が共同して申述する必要があります(各人が個別に申述書を提出することも可能ですが、全員の意思が一致していることが前提です)。
- 申述期限: 各相続人が「自己のために相続の開始があったことを知った時」から原則として3ヶ月以内です(相続放棄と同じ熟慮期間)。この期間内に財産調査が完了せず判断が難しい場合は、期間伸長の申立てを検討します。
- 主な必要書類:
- 限定承認申述書
- 被相続人の出生時から死亡時までの全ての戸籍(除籍、改製原戸籍)謄本
- 相続人全員の戸籍謄本
- 被相続人の住民票の除票(または戸籍の附票)
- 相続財産目録(プラスの財産もマイナスの財産も詳細に記載)
- 収入印紙(申述書1通につき800円分)
- 連絡用の郵便切手 ※事案により、不動産の登記事項証明書や固定資産評価証明書など、追加の書類が必要となる場合があります。
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家庭裁判所による受理: 書類に不備がなければ、家庭裁判所は限定承認の申述を受理します。
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官報への公告と債権者への催告: 限定承認の申述が受理されたら、限定承認をした相続人(または選任された相続財産清算人)は、受理の日から5~10日以内(相続人が複数いる場合は、最後に受理された日から起算)に、全ての相続債権者および受遺者に対し、限定承認をした旨および一定期間内(2ヶ月以上)にその請求の申出をすべき旨を官報に公告(掲載)しなければなりません。 また、知れている債権者には、個別に催告書を送付する必要があります。
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相続財産の管理・換価・清算(配当): 公告期間が満了した後、相続財産管理人(通常は限定承認をした相続人がなりますが、利害関係人の申立てにより家庭裁判所が相続財産清算人を選任することもあります)は、申し出のあった債権者や受遺者に対し、法律で定められた優先順位に従って、相続財産から弁済(配当)を行います。弁済のために相続財産を売却(換価)する必要がある場合は、原則として競売によりますが、前述の「先買権」を行使して相続人が買い取ることも可能です。
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残余財産の取得: 全ての債務を弁済し、受遺者への遺贈も実行してもなおプラスの財産が残った場合は、その残余財産を限定承認した相続人が取得することができます。
この一連の手続きは非常に複雑で、専門的な知識が不可欠です。
限定承認を検討すべき具体的なケースとは?
以上のようなメリット・デメリット、手続きの複雑さを踏まえると、限定承認はどのような場合に検討すべきなのでしょうか。
- 借金の額が不明確だが、どうしても手放したくない財産がある場合: 例えば、先祖代々受け継いできた土地や建物、家業に必要な事業用資産、思い入れの深い美術品などがあり、これらを何としても残したいが、被相続人の借金の全容が掴めず、単純承認するにはリスクが高すぎるといったケースです。
- 被相続人の事業を承継したいが、潜在的な簿外債務のリスクが拭えない場合: 事業そのものには価値があり承継したいものの、帳簿に載っていない隠れた債務(例えば、未払いの残業代や損害賠償義務など)が存在する可能性が否定できない場合などです。
- プラスの財産がマイナスの財産を上回る可能性が多少でもあると考えられる場合: 相続放棄をしてしまえば、たとえ後からプラスの財産が多く見つかっても手に入れることはできません。限定承認であれば、その可能性を残すことができます。
ただし、これらのケースにおいても、前述の「みなし譲渡所得税」のリスクを必ず考慮しなければなりません。これが多額になる場合は、限定承認のメリットが帳消しになることもあります。
最大の関門!限定承認と「みなし譲渡所得税」の罠
限定承認を選択する際に、最も注意しなければならない税金問題が「みなし譲渡所得税」です。
限定承認をすると、税法上、被相続人が、相続開始時の時価で、その相続財産を相続人に譲渡(売却)したものとみなされます。 その結果、もし被相続人がその財産を取得した時の価額(取得費)よりも、相続開始時の時価の方が高くなっている場合(いわゆる「含み益」がある場合)、その値上がり益(譲渡所得)に対して所得税が課税されるのです。
この所得税は、被相続人に課税されるものとして扱われ、相続人が被相続人の死亡した年の所得税として「準確定申告」を行い、納税しなければなりません。この納税資金も、相続財産の中から支払うことになります。
特に、先祖代々の土地など、取得費が不明または非常に低い不動産や、長期間保有していた値上がりした株式などが信託財産に含まれる場合、このみなし譲渡所得税が予想外に高額になることがあります。この税負担によって、限定承認のメリットがなくなってしまうどころか、かえってマイナスになってしまうケースも少なくないため、限定承認を検討する際には、必ず事前に税理士に相談し、みなし譲渡所得税がどの程度発生するのかを試算してもらうことが絶対不可欠です。
限定承認手続きにおける行政書士の役割とその限界
限定承認の手続きは非常に専門的であり、私たち行政書士が直接的に全てのプロセスを代理することは法律上できません。しかし、その準備段階や周辺業務において、以下のようなサポートをご提供することは可能です。
限定承認という複雑な航海において、私たちは「水先案内人」として、安全な航路を見出すための情報提供や準備のお手伝いをいたします。
- 限定承認制度に関する情報提供と相談:
- 限定承認の仕組み、メリット・デメリット、手続きの概要などについて、分かりやすくご説明し、みなさまの疑問にお答えします。
- 前提となる財産調査・財産目録作成のサポート:
- 限定承認の申述に不可欠な相続財産の調査(プラス・マイナス両面)をお手伝いし、正確な財産目録の作成を支援します。
- 家庭裁判所へ提出する申述書等の書類作成支援:
- 限定承認申述書や、添付書類として必要となる戸籍謄本等の収集・作成をサポートいたします(ただし、裁判所への代理申述は弁護士の業務となります)。
限定承認の手続きは、その複雑さと専門性から、一般的には弁護士に依頼して進めるケースが多いです。特に、相続人全員の意思統一、官報公告、債権者とのやり取り、財産の換価・配当といった清算手続きには、高度な法的知識と実務経験が求められます。また、前述の「みなし譲渡所得税」については、税理士との緊密な連携が不可欠です。
私たち行政書士は、みなさまのご状況をお伺いした上で、限定承認が適切な選択肢となり得るか、その場合のリスクは何かといった情報提供を行うとともに、必要に応じて信頼できる弁護士や税理士といった専門家をご紹介し、スムーズな連携が図れるようサポートいたします。
まとめ:限定承認は奥の手。メリット・デメリットを専門家と徹底比較。
今回の「相続セミナー」では、相続の一つの選択肢である「限定承認」について、その仕組み、メリット・デメリット、手続きの流れ、そして最大の注意点である「みなし譲渡所得税」について詳しく解説してまいりました。
限定承認は、相続放棄と単純承認の中間に位置する制度であり、「借金は相続したくないが、プラスの財産が残るなら欲しい」という場合に検討の余地がある、いわば「奥の手」のような選択肢です。
しかし、その手続きは非常に複雑で、相続人全員の協力が不可欠であり、何よりも「みなし譲渡所得税」という大きな税負担のリスクを伴います。そのため、実際に利用される件数は相続放棄に比べて極めて少ないのが現状です。
限定承認を検討する際には、決して自己判断せず、必ず弁護士や税理士といった専門家と綿密に相談し、メリットとデメリットを徹底的に比較検討した上で、極めて慎重に判断することが求められます。その判断材料となる財産調査や書類準備の段階では、私たち行政書士もお力になれることがあります。
次回の「相続・遺言・家族信託お役立ちブログ」第37回相続セミナーでは、「預貯金の相続手続き ~金融機関での必要書類と流れ~」というテーマでお届けします。相続財産の中でも最も身近な預貯金について、相続が発生した際に金融機関で行う具体的な手続きや、必要となる書類、スムーズに進めるためのポイントなどを詳しく解説する予定です。どうぞご期待ください。